もう、耳にタコか、とは思われますが数少ない友人の一人ですwww
小学校時代の記憶の多くに出演します。
今私を形成してるものに影響を与えた人の一人であることは間違いないと思います。
高校では、県内で一番頭のいい高校の更に一番頭のいい学科に進学した彼女。
気持ち良いくらい分たれた進路(笑)
それでも、彼女は穏やかな空気で持って、私との縁を繋いでいてくれました。
私も彼女も筆まめではないので、本当に忘れた頃に連絡がきたり。連絡してみたり。
最後に連絡がきたときは、いつの間にか結婚してたし(笑)
そして1年前。
このアドレスがまだ届くのか・・・
届いたとしても、今は最優先は自分じゃないからメールすら迷惑かも・・・
って思いながら、少し時間をあけて送ってみました。
返事が、きた!
大変じゃなかったはずはないのに、もっと大変な人たちのために必死に情報を誘導してる彼女がいました。
余計なことは妨げになるし、情報をもらって、自分に出来る範囲で協力。
そうしてる内に時間は過ぎて、1年。
ああ、元気かなぁ。
アドレスまだ届くかな?w
1年前と同じ気持ちでメールしました。
元気でした。
そんな彼女のブログの言葉に、距離を超えて彼女の周りの空気を感じました。
私が彼女を知ってるから、余計そう感じるのかもしれないけれど、正直で真っ直ぐな「思い」が綴られていて、私のように心に響く人がいるかもしれない。そう思って転載の承諾をもらいました。
整理のつかない思いや、どこに向かえばいいのかわからない思い、私だけで考えていても仕方ないなって。
素直に彼女を通して教えてもらおうって、思いました。
以下転載
3月11日
まだ全然忘れられない
震災から1年。
地震直後はライフラインが止まり、生活すること自体に必死だった仙台も、今では震災前の生活を取り戻し、普通の毎日を過ごすことができている。
「震災を忘れない」「忘れちゃいけない」っていうのがスローガンみたいになっているが、まだ全然忘れられる状態じゃない。
仙台に住む私は普通の生活ができることをうれしく思い、毎日を生活しているが、それと同時に震災のことを全く考えない日はない。
被害の大きかった地域の人たちはどうだろうか。
あの日あの津波で大勢の人が亡くなったことに対して、私の中では未だにどうとらえていいのかわからないでいる。心の中でどう整理ををつけたらよいのか。あれは何だったのか。
巨大な黒い水がすごいスピードで自分を襲ってくるのを見たときどれだけ怖かっただろうか。
水の勢いはどれくらいの衝撃があっただろう。瓦礫や泥にもまれたのだろうか。
3月の東北の凍える泥水の中で自分の体が制御できないのはどれだけの恐怖なのだろう。死を覚悟して何を思ったのだろうか。
遺体を確認したとき家族はどんな気持ちだっただろう。
忘れてもいいと思っている。
年月とともに生々しい思いが落ち着いて穏やかな日々が過ごせたらどんなに楽だろう。
今、忘れたいって強く願っている人もいるだろう。
裏を返せば忘れようとしなければ忘れられない状態にあるということだ。「忘れる」って何?という感じかもしれない。
「忘れないようにしよう」と思うのはある程度距離(物理的にもしくは時間的に)があるからであって、被災地の人たちにとってはまだ生々しく、今起きていることであり、毎日ともにある。
つまり私たちはまだ傷ついている。
震災1年後の今日。「忘れてほしくない」「現状を知ってほしい」というのが被災地の人たちの思いではないだろうか。
私に関して言えば仙台在住であり1年経過したという、距離的にも時間的にも少し離れたところにいるため、比較的落ち着いた気持ちでいる。震災のせいで今苦しい生活をしている人たちと、このブログを読んでくれている私の友達とのちょうど中間地点にいると思う。
遠くにいる友人たちがこの1年私のことを心配してくれて心を痛めてくれ、みんなの生活の1日の中で私のことを思い出してくれたことに救われたし力をもらった。
一方、私は被害が大きかった人々に対して何ができるだろうか。
遠くにいる人々が、今日、1年前の震災を思い出して、自分の問題として考えてくれることに感謝する。
節目節目でいいので忘れないでいてくれたらと思う。
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私もお店を始めたこと、初めてメールしました。
ほんとは1年くらい経ってからが良かったんだけど(仕返し仕返しw)
遠いけど、また会えるよね。
私のことはね・・・・・
月ノキノコで全部わかるから!!wwwww昼ごはんのメニューまで!
そんな彼女が震災後に始めたブログです。
微力運河
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